ケーススタディ028:館内の平和と安全性の維持に関わる難しい対処

 

図書館のすべての利用者が、館内で安全に過ごせるように配慮することは、司書の責任のひとつであり、安全な環境が脅かされることがあれば、適切な対応をするのは当たり前のことです。

 

誰でも利用できる公共図書館は、さまざまな立場のさまざまな価値観を持つ人が集まる場所で、”適切な”対応というのは思いのほか難しいといえます。

 

 

映画『フィラデルフィア』には、館内の平和と安全性の維持に関わる難しい対処を迫られる司書の姿が描かれます。

見方によってはただの差別シーンですが、そうとも言い切れない、かなり多角的にとらえることが出来る場面です。

 

映画『フィラデルフィア』にみる図書館シーン

 

一流法律事務所に勤務する同性愛者の弁護士ベケット(トム・ハンクス)は、自分がエイズに感染したことを知ります。

やがて、会社にもそのことが知られると、巧妙な手口でベケットに非があるように仕向けられ、解雇を宣告されますが、エイズ患者に対する不当な差別だと確信するベケットは訴訟を決意します。

彼は何人もの弁護士に弁護を依頼するが断られ、かつて敵として法廷で闘ったことのある不法行為が専門の黒人弁護士ジョー・ミラー(デンゼル・ワシントン)を訪れます。

しかし、同性愛者を嫌悪するミラーは依頼を断り、さらにはベケットと接触したことでエイズへの感染を恐れ、即座になじみの医師を呼び、感染してないか確認します。
医師は通常の接触では感染しないと説明します。

 

弁護してくれる弁護士が見つからないベケットは、本人訴訟を決意し、法律図書館(だと思われる)でエイズ差別に関する資料を調べます。

ミラーがベケットを拒否する場面は、次の法律図書館シーンへの極めて重要な伏線となります。

 

 

カメラは、法律図書館全体を映し出します。

 

 

黒人弁護士のジョー・ミラー(デンゼル・ワシントン)が、本を片手にサンドイッチを頬張ります。

ちょうどそこへ男性司書が通り、通り過ぎるまで、ミラーの顔を凝視し、目を離そうとしません。

 

ミラーは少し傷ついたような表情にもみえるし、とにかく何か違和感を覚えます。

単純に、館内で食事をしているのを咎めているようにも見えますが、ミラー自身がそう捉えていないような感じだし、司書の眼も職業的なものではく嫌な印象を与えるものです。

 

 

場面は変わり、別の男性司書がアンドリュー・ベケット(トム・ハンクス)に近づきます。

 

 

男性司書:Sir? (失礼します。)

This is the supplement …(資料です。)

 

[ベケットの机に本を置く。]

 

男性司書:You’re right. There is a section on HIV-related discrimination.(HIVの差別に関する項目がありましたよ。)

ベケット:Oh, thank you. Thank you very much.(ありがとう。どうもありがとう。)

 

トレイシー・ウォルターが演じるこの男性司書は、エイズ差別に関する判例の本を持ってベケットに近づきます。

彼は控えめな服装で、セーター、ネクタイ、ボタンフロントのシャツを着ており、年齢は40代のようで、細く、禿げかかった頭をしています。

 

ベケットは本を用意してくれた司書に感謝しますが、彼は立ち去ろうとしません。

周囲の利用者が不穏な空気を感じ彼らの方を見はじめます。

近くの席にいたミラーもサンドイッチを食べながら無意識にその方向に目を向けます。
カメラはミラーを捉え、彼に徐々にズームしていきます。

 

再び、ベケットの横に立って離れない男性司書が映ります。

 

男性司書:We do have a private research room available.(個室の利用が可能ですが)

 

[ベケットは司書の提案を気に留めないふりをしながら資料をめくっています。]

 

ベケット:I’m fine right here. Thank you.(ここでいいよ。ありがとう。)

 

[男性利用者が、ベケットと会話中の司書に話しかける]

 

男性利用者:Excuse me, …(すみません…マードック社の訴訟の資料は?)

 

男性司書:(今行きます。)

 

離れた席にいるミラーは、死角になるように本を重ね、顔を隠しながら様子を伺っています。

司書はベケットの様子を見て大きくため息をつき、ベケットの前の席に座る男性の利用者が心配そうにみています。

 

 

男性司書:Would you more comfortable research room(個室の方が気楽ではないですか?)

 

ベケット:[周囲を見渡しながら]No, will you more comfortable(いや、あなたが安心なのでは?)

 

司書は黙り、ここで堪らずミラーが立ち上がります。

 

 

ミラー:Hi, Ah…Backet I don’t(ベケット)

 

[司書がミラーに顔を向け、ベケットも振り向きます]

 

ベケット:counselor(弁護士さん)

 

[ミラーが頷き、司書はベケットの顔を数秒間みて、ミラーに目を向けます]

 

男性司書:(お好きにどうぞ。)

 

ベケットの前の席にいた男性が席を立ち去ります。

 

 

『フィラデルフィア』にみる図書館のケーススタディ

 

この図書館シーンに多くの会話はありませんが、会話と会話の間の長い沈黙、凝視など目で排除を促す動き、一人一人の表情を捉えるカメラアングルなどで、それぞれの登場人物が持つぎこちなさやいたたまれなさを意図的に演出しています。

 

この司書は、エイズ差別に関する資料の請求と、目の前にいるおそらく副作用で髪の毛が抜けてしまった頭を隠すための帽子、青白い顔に涙目であきらかに健康的ではないベケットの間にある点を明確に結び付け、ベケット自身がエイズにかかっていると確信しています。

 

そのうえで個室利用を勧めますが、この時点では、図書館の環境保全に対する責任を果たしているだけとも解釈できます。

エイズは空気感染しませんが、エイズが流行しはじめ情報が正しく認識されていない時代の反映ともといえるし、何より司書は医者ではなく、黒人弁護士のミラーが誤解している以上、司書の誤認もありえます。

 

しかし、その後、ベケットに個室利用を断られることで司書の差別意識が明るみになっていきます。

個室利用の選択肢を利用者であるベケットに委ねていたにもかかわらず、それが断られても立ち去らない司書の態度は、ベケットを個室に押し込みたいという司書としての役割とは別のところにあるのは明らかです。

そして、個室に移ることの責任を、司書が自分ではなく利用者であるベケットに負わせようとすることをベケットは許可しません。

司書がベケットに対し「個室の方が気楽では?」と言う、親切心に見せかけた差別を働く場面では、ベケットの返事は、字幕翻訳で「あなたが安心なのでは?」となっていますが、実際にはベケットが司書の質問をリダイレクトすることで、司書の本当の動機を呼びかけています。

本当に聡明な人ですね。

 

司書:Would you more comfortable research room(個室の方がもっと気楽ではないですか?)

ベケット:No, will you more comfortable(いや、あなたがもっと気楽ですか?)

 

これらのやり取りをみていたミラーは、堪らず声を掛けます。

このときベケットは一瞬、間をおいて彼のことを「カウンセラー」と呼びます。

ベケットのこの瞬時の頭の回転のよさは、司書を諦めさせるのに十分でした。

法律図書館に勤務する司書が、2人の弁護士を相手に人種差別の罪で告発されるのは賢い選択ではないでしょう。

 

このシーンで使用されているカメラアングルはベケットの視線にあり、わたしたちも図書館員から見下されているように感じさせます。

この嫌な印象を与える司書を演じたトレイシー・ウォルターは、これまでも警官、本屋の店員、編集者など、名前を与えられないけど強い印象を残すキャラクターとして登場しています。

 

マチルダでも名前のないFBI捜査官を演じていますが、こちらも嫌味な役でした。

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