映画に図書館が登場し、そこで同時に図書館の所蔵する資料がみられるとき、それはたいてい”本”であったり、新聞であったりすることが多いので、それ以外のコレクションが描かれると「図書館映画」という視点で貴重だなぁと思わされます。
映画『ピュア 純潔』では、主人公のカタリナ(アリシア・ヴィキャンデル)が図書館でCD(視聴覚資料)を利用する場面が描かれます。
映画『ピュア 純潔』の図書館シーン
スウェーデンの低所得者層で、定職につかず時には売春をして日銭を稼ぐなど荒んだ生活を送っている主人公のカタリナ(アリシア・ヴィキャンデル)は、ある日、モーツァルトの音楽と出会ったことで人生が好転していきます。
クラシック音楽の世界に魅了され、生の音楽が聴きたくなり音楽ホールを訪ねたカタリナは、そこで運よく受付の職を得て、それをきっかけにこれまで別世界だった人たちとの交流が生まれます。
やがて、楽団の指揮者アダム(サミュエル・フレイル)に恋をするようになると、クラシック音楽にとどまらず、文学にも興味が芽生えます。
しかし、次第に妻子がいるアダムに執着するようになり、手に入りかけた安定した仕事もクビになってしまうと帰る場所がなく路上生活に陥ります。
映画『ピュア 純潔』の図書館シーン
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カタリナが図書館のカウンターにいる男性司書に声をかけます。
カタリナ:リヒテルのラフマニノフはありますか。
司書:調べます。
パソコンで調べる
司書:音楽コーナーに置いてありますよ。
カタリナ:キェルケゴールの本は?
司書:特定の著書をお探しですか?
カタリナ:”勇気は人生を開く”と書かれている本です。
司書:それなら聞いたことがあります。
映画『ピュア 純潔』にみる図書館のケーススタディ
図書館の場面は短いのですが、映画全体を考察するうえで欠かせない存在です。
カタリナは典型的な低所得者層に属する少女です。
見た目は幼い少女ですが、年齢は二十歳という設定なので、あらゆる物事や行動を十分自分で選択できる年齢のはずですが、低所得者層に生まれついたための選択肢や情報のなさが彼女を苦しめています。
環境が違えばきちんと学んだ子、本当は学びたかった子なのだと思わされる場面が随所にあります。
その描写が秀逸で、たとえばの自分の意志ではどうにもならないことに対するイライラした表情や、親や彼氏や友人の教養のなさにうんざりする態度などにものすごく上手に表現されています。
そして、何より彼女が教養を心の底から欲しているとわかるのが、音楽が聴きたくなったら音楽ホールに行き、本を読みたくなったら図書館に行くという、本来なら基本的なことだけど、現代では怠りがちな行動をとる姿です。
そしてそれが、結果として彼女の人生を好転させていきます。
図書館シーンはちょっと切なくなるほどで、「リヒテルのラフマニノフはありますか。」と聞き、答えを得られたカタリナが、続いて「キルケゴールの本は?」と訊ねる場面は、おかわりを要求していいんだとわかった時の、飢えた子どものような食いつき方なのです。
「自分のいる場所はここではない」と若者がいうとき、しばしば青い鳥症候群と揶揄されることがありますが、生まれる場所や環境が選べない以上、カタリナのような人も確実にいるのだと思います。
この映画は、カタリナの視点ではハッピー・エンドで幕を閉じますが、決して許されない行為がそこには含まれています。
そんな中で、図書館場面があることは救いです。
彼女にとって学びたいという欲求が失われることなく、それを図書館で満たすことが出来るのだと知ってくれ、これから続く彼女の人生で活用できるツールとして存在し続けてくれたらいいなと強く願います。
さて、カタリナが図書館で「リヒテルのラフマニノフはありますか。」と質問したことは、この映画を観た人に対して図書館にCDがあるということを明らかにしてくれています。
CDは図書館コレクションの中の非図書資料の中の視聴覚資料(AV資料)という位置づけで、小さな分館を除いてほとんどの図書館で所蔵しています。
貸出できるものがほとんどで、視聴覚ブースを備えている図書館では館内で視聴することも可能です。
映画『ピュア 純潔』にみる図書館用語
視聴覚資料(audiovisual material)
非図書資料のうち,主として文字ではなく画像,映像,音声によって情報を記録した資料であり,人間の視覚,聴覚を通して情報を伝達するもの.これの利用には何らかの再生装置を必要とする.略称はAV資料.
出典:日本図書館情報学会『図書館情報学用語辞典 第4版』
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