ケーススタディ032:ホームレスは図書館に住むことができる?(2)

図書館の根深い問題のひとつに「ホームレスの問題」があります。

 

公共図書館は誰でも入館でき、誰でも利用できる場所なので、ホームレスが図書館を利用すること自体は、当然のことながら問題にはなりえません。

ホームレスが問題になるとしたら、それは、図書館の機能を超越して利用した場合です。

 

ホームレスというのはその言葉通り「家がない人」であるため、家でやるべきことを図書館で行う、つまり、家の代わりに図書館を利用するとき、それは図書館側にとっても問題となり、他の利用者にとっても迷惑行為となります。

 

言うまでもなく、それは”ホームレスっぽい”といった見た目の問題ではありません。

よって、図書館を家の代わりになるような使い方をしたときは、利用者がホームレスではなくても問題になります。

 

映画『きっと忘れない』では、ホームレスの男性が図書館に完全に住みつくという図書館のホームレス問題を超越したシーンが描かれますが、もっと現実的な図書館のホームレス問題が垣間見える映画もあります。

>>ケーススタディ030:ホームレスは図書館に住むことができる?

 

オスカー女優になる前のアリシア・ヴィキャンデルが社会的弱者の少女を演じたスウェーデン映画『ピュア 純潔』では、ホームレス状態となった少女が図書館で1日を過ごす場面が描かれます。

 

映画『ピュア 純潔』にみる図書館シーン

スウェーデンの低所得者層で暮らすカタリナ(アリシア・ヴィキャンデル)は、定職につかず、時には売春をして日銭を稼いでいます。

アルコール依存の母とたびたび衝突し、カッとすると暴力を振るう気性の荒い性格がありますが、ある日、モーツァルトの音楽と出会ったことをきっかけにクラシックの世界に魅了され、それに触れ続けるうちに、これまでの生活から抜け出したいと願うようになります。

 

生の音楽が聴きたくなり音楽ホールを訪ねたカタリナは、そこで運よくホールの受付の職を得ます。

 

社会の底辺で荒んだ生活をしていた少女が、音楽をきっかけに仕事を手に入れ、これまで別世界だった人たちとの交流が生まれと、やがて、音楽や美術、文学に造詣が深い楽団の指揮者アダム(サミュエル・フレイル)に恋をします。

 

カタリナは、アダムに教えてもらったセーレン・キルケゴール(デンマークの哲学者)の「勇気は人生を開く」という言葉に感動します。

「冷静に突き進めば、どんな目標も達成できる。」というアダムの言葉を胸に、新しい人生を切り開くよう努めますが、同時にこれまでの人間関係を忌み嫌うようになり、友達や母、ずっと支えてくれている彼氏のことを見下すようになります。

 

しかし、アダムには妻子がいて、カタリナはそのうちアダムに付きまとうようになり、その行為の果てに、せっかく正社員登用になりかけた大好きな音楽ホールの仕事もクビになってしまいます。

 

 

帰る場所がなくなり、路上生活に陥ったカタリナは図書館を訪れます。

仕事も家も失ったカタリナは、日中は図書館で音楽を聴きながら、閉館後は外のベンチでキルケゴールを読んで過ごします。

 

この約2分間のシーンは一切セリフがなく、カタリナが聞いている音楽だけが流れ、彼女の表情や所作が映るだけですが、社会的ハンデを持って生きてきた少女が、勇気を持って人生を切り開くためにこの一冊から学ぼうとする覚悟がうかがい知れる場面でもあります。

本を読了したカタリナは、かつての職場である音楽ホールに戻り、仕事を返して欲しいと上司に掛け合います。

映画『ピュア 純潔』にみる図書館のケーススタディ

カタリナがはじめて図書館を訪れたのは、アダムとの関係が同棲中の彼氏にバレて、家から追い出されたあとのことであり、紛れもなく「ホームレス」の状態です。

 

一方で彼女は、図書館で図書館の資料を利用する目的で入館しており、利用を拒否される立場でもありません。

>>ケーススタディ032:名言から本を特定できる?

>>ケーススタディ033:図書館でクラシック音楽を聴く

それでも彼女が、レファレンスや閲覧などの図書館としての機能を利用する前に、図書館のトイレで洗濯をしている場面が数秒活写されており、家の代わりとして利用している部分も明らかにされています。

しかし、それ以上に注視すべき点があります。
実はカタリナは、公共図書館で過ごさなければならなくなる以前にも、公的機関によって何度も手を差し伸べられているのですが、それを無下にし、手っ取り早く高尚な世界に行きたがっているのが彼女自身なのです。

日本のように、黙って耐え忍ぶ美徳や自己責任論が蔓延する社会では、カタリナの行動はむしろ称賛に値するのかもしれないし、最終的に彼女は、そこそこのアメリカンドリームを掴みそうな印象も受けなくもありませんが、福祉大国スウェーデンによるこの映画では、必要なステップを踏み外したことによる顛末がきちんと描かれています。

公的機関の援助を断った彼女自身が、家の代わりになる居場所として“公共”図書館に行くという側面があることは無視できないでしょう。

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